【ココハレインタビュー】助産師・関正節さん|新しい性教育「いのちの教育」で、子どもの生きる力を育みたい
助産師として、働く母親として。子どもを取り巻く環境を変えていこうと、地域・教育・福祉・医療の連携を進めています
幼稚園や保育園、学校で行われる性教育には、たくさんの医療従事者が外部講師として携わっています。
助産師の関正節(せき・まさよ)さんもその一人。高知県看護協会の出前授業で、子どもたちに体の仕組みや妊娠、出産について話してきました。
看護協会では 2017 年から、「新しい性教育」として、子どもたちの生きる力を育む「いのちの教育」を進めていて、関さんはリーダーの 1 人です。助産師として、そして働く母親として、明るくパワフルに取り組む関さんにお話を聞きました。
目次
貧困、非行、10代の妊娠、児童虐待…子どもたちの課題に向き合っています
2023 年 1 月、高知市朝倉己にある高知県看護協会でシンポジウムが開かれました。
看護師、保健師、助産師が集まる会場で、関さんは司会を務めていました。看護協会の助産師職能委員長として、「いのちの教育」を高知県内に広げようと活動しています。
助産師が行う性教育の授業では、命の誕生や性感染症予防など、園や小中高校が希望するテーマについて、子どもたちの発達段階に合わせて語っていきます。
地道に取り組んできた一方で、子どもの貧困や非行、10 代の人工妊娠中絶、児童虐待などのデータを見ると、厳しい環境で生きる高知の子どもたちがいます。その現状を変えたいと考えてきた関さん。
「助産師が出前授業をするだけではなく、高知県内の医療、福祉、学校、地域が一体となって、子どもたちを大事にし、生きる力を育む活動を深めていきたい」。そう語り掛けました。
助産師のスタートは、山?!地域の生活を実感しました
関さんは 1965 年生まれ。高知県内で育ちました。
幼い頃から、歯科衛生士の母親の姿を見て、「私も歯科衛生士になろう」と考えていました。看護師へと目標が変わったきっかけは、祖母の手術でした。
土佐女子高校から高知県立看護学園に入学。21 歳で看護師となり、高知医科大学(今の高知大学医学部)の付属病院で働き始めました。
配属されたのは産婦人科、そして「PICU」と呼ばれる小児集中治療センターでした。
「当時は今みたいな妊婦健診が当たり前ではありませんでした。生まれてきた赤ちゃんの状態がよくなくて、『もっと早い段階で気付いていれば…』という症例も多かったです。祈るような姿勢で廊下のいすに座っているお母さん方を覚えています」
産婦人科でも、子宮頸(けい)がんや卵巣がんなど、女性特有の病気に苦しむ患者を担当。妊娠・出産、そして女性の健康問題に寄り添う助産師になろうと決め、県立看護学園の助産学科へ。23 歳で助産師になりました。
最初の赴任地は「山でした」。今から 35 年ほど前は大半の妊婦が病院でお産していましたが、高知県内の山間部には「母子保健センター」という施設が残っていました。医師は常駐しておらず、助産師がお産を担当します。
「助産師だけのお産は、23 歳の駆け出しの新米助産師にとってはプレッシャーでした」。お産、マタニティークラス、赤ちゃん訪問など出産や子育てに関する仕事だけでなく、地域住民の健康診断や高齢者の移動入浴など、保健師の仕事も手伝いました。
「お風呂やトイレが外にあるとか、家族構成や関係性など、病院勤務では見えない地域の暮らしをこの目で見られたのは大きかったです。世の中のことを知ってるつもりでいたけれど、私なんてまだまだだなぁと思い知りました」
31歳で出産。「バリバリは働けない」と思いましたが…
その後は、看護学校の助手をしながら、病院で助産師として働きました。
結婚し、31 歳で長女を出産。勤務していた病院には夜間の託児がありませんでした。子育てをしながら独身時代のようにバリバリ働くのは難しいと考え、退職。「その時は『奥さんになろう』と思っていました」
そんな関さんに、南国市の農協総合病院(今のJA高知病院)から「夜間託児を始めるから働きませんか?」と声が掛かります。
「夜間託児があるなら、と。長女が 1 歳になる前から働き始めました」
預け先ができると、本来の「働きたい」という気持ちが強くなります。「奥さんになるはずだったのに、気付いたらがんがん働いちゃって…」
33 歳で主任助産師になり、34 歳で長男を出産。39 歳で不妊症の認定看護師の資格を取り、さらに「産科のマネジメントを学びたい」と、42 歳で高知女子大学(今の高知県立大学)の大学院に進学。45 歳で高知医療センターに就職し、NICU(新生児集中治療室)の科長となりました。
「マグロって泳ぎ続けないと死んじゃいますよね。『関さんはマグロ』とよく言われました」
夫と協力しながら家事、育児をこなしましたが、女性が働き、さらにキャリアも積んでいくと、わが子と関わる時間はどうしても減っていきます。
「赤ちゃんの頃から、もう預けっぱなしですよね。手が行き届かなくて、家の中もいっぱい。子どもたちには申し訳ないと思いながら、自分にできることをしました」
買い物に行く、ご飯を作る、洗濯物を干して畳む…。生活を営む親の姿を子どもたちに見せようと意識したそうです。
「いのちの誕生」とともに「自他を大事に」。学校の性教育で感じた、ニーズの変化
関さんが性教育に本格的に携わり始めたのは、医療センターで働き始めてから。看護協会の助産師職能委員として、出前授業を受け持つようになりました。
性感染症、若年妊娠、産後うつ、不妊症…。助産師として子どもたちに伝えたいことはたくさんあります。しかし、多くの場合、外部講師の授業は年に 1 度の“特別なもの”。授業時間も限られます。
さらに、学校の授業は学習指導要領に基づいて行われます。例えば、中学生には受精から妊娠までの経過を教えますが、「性交」という言葉は教科書には出てこないので、外部講師と言えども勝手に教えるのはNG。「依頼された授業で何をどう伝えるか、学校との調整が必要です」
さまざまな制約、そして学校間、教員間で性教育への温度差もある中で、命の誕生の現場を知っている助産師への講師依頼は年々増え、対応が難しくなっていきました。
時代とともに、学校から求められる授業内容も変化していきました。
「『自分と他者を大事にする話もしてほしい』と頼まれるようになって、悩みました。助産師は『いのちの誕生』はもちろん伝えられますが、自他を大切にすることまで伝えられるのかなと」
学校の先生たちと会話を重ねる中で、「学校や地域で困っている課題を抽出して、解決に一歩踏み出せるような授業にしたい」と考えるようになりました。
「課題抽出は病院勤務が中心の助産師や看護師には難しくて、保健師の力が必要です。命の現場という点では看護師が語る役割も大きい。『じゃあ、私たちが看護職が一緒になって、性教育を変えていこう』と、いのちの教育の取り組みが始まりました」
「いのちの教育は必要」。子どもたちからのメッセージに励まされています
看護協会で活動を始めたのは 2017 年。東京医療保健大学教授の渡会睦子さんをアドバイザーに迎えました。渡会さんは山形県の保健師として、学校を巻き込みながら県内に性教育を広げていきました。
目指すのは、性の知識のみを伝えるのではなく、自分と他者を大事にすることを小学校から系統立てて伝えていく「新しい性教育」です。研修会には看護職に加え、養護教諭ら学校関係者も参加。渡会さんはこう繰り返しました。
「大人が子どもに『あなたは大事な存在だ』と教え続けることで、自分や相手を大切に思う気持ちが育まれます」
「性教育は『性問題対処のための教育』ではなく、『人間として生きていくための心の教育』なんです」
「渡会先生について行かなきゃと、必死でしたね」と関さん。研修や会合を重ねながら、県教育委員会とつながり、出前授業の新しい仕組みができるなど、少しずつではありますが、高知の性教育は変わっています。
「 6 年やってきて、目指す理想にはまだまだ。学校との連携の難しさも感じています」
そんな関さんの支えになっているのは、授業を行った学校から寄せられる子どもたちの感想です。「命を大切にします」「助産師になろうと思います」。そんな感想に加えて、ある高校生がこう記していました。
「今日私たちが受けた授業を、もっと下の年代の子たちに話してあげてください」
「子どもたちがいろんな言葉で、『いのちの教育は私たちに必要だ』と言ってくれている。これは頑張らなきゃ…と思いますよね。学校の課題を先生と保健師が一緒に考えて組み立てていく授業が始まっている地域もあります。細く続いている『いのちの教育』を、どうにかして高知県全部に広げていきたいです」
そして最近もう一つ、心の支えとなる言葉が増えました。それはこの春、大学を卒業した長男の言葉です。
「うちって、いろいろがしゃがしゃあったけど、俺らまともに育ったと思うで」
ほぼ終わった自身の子育てを「反省している」という関さん。わが子と衝突したこともありましたが、「母親として、社会人として奮闘する自分をちゃんと見てくれていたのかな」と感じています。
「周囲の皆さんに助けられて、私は今まで生きてこられました。これは子どもも同じですよね。全ての子どもたちが幼い頃から、大人たちに『あなたは大事な存在だよ』と教えられ、見守られながら生きていける。いのちの教育を通して、そんな高知県にしていきたい」
子どもたちの幸せのために、志を同じくする仲間たちとの挑戦は続きます。