学びやに別れ 高知県内の小中学校で休校・閉校式
2020 年度、高知県内では次の八つの小中学校が休校・閉校となります。休校式や閉校式では、子どもたちや地域の人々が思い出の詰まった学びやに別れを告げました。
- 中川内小学校・中学校(室戸市)
- 上ノ加江中学校(中土佐町)
- 興津中学校(四万十町)
- 川登小学校(四万十市)
- 大川筋中(四万十市)
- 蕨岡中学校(四万十市)
- 松田川小(宿毛市)
目次
「蕨岡中の生徒でよかった」74年の学びやに別れ(四万十市)
(高知新聞 2021 年 3 月 14 日掲載)
栄えあれ蕨岡、讃(たた)えん我(われ)らが母校―。3月で74年の歴史に幕を下ろす四万十市蕨岡甲の蕨岡中学校で13日、休校式が行われ、卒業生や住民ら約80人が愛着ある学びやに感謝と別れを告げた。
同校は1947年開校。61年には190人の生徒を数えたが、徐々に減少し、市立中村中への統合が決まった。送り出した卒業生は1700人以上。
この日は、最後の在校生となった3年の川村佑希さん、外田航聖さん、村松虎次さんの卒業式の日に合わせ、休校式を開催。村松さんが「少人数の蕨岡中でしかできない唯一無二の経験をした。地域とのつながりや協力することの大切さを忘れず頑張りたい」と振り返り、「蕨岡中の生徒で本当によかった」とあいさつした。
式の実行委員長、福留宣彦さん(76)は「地域の学校、思い出が詰まった母校がなくなるのは本当に寂しい。でも、地域で子どもたちを見守っていくことはこれからも変わらない」と話した。(平野愛弓)
プライド忘れない 上ノ加江中(中土佐町)
(高知新聞 2021 年 3 月 25 日掲載)
上ノ加江中学校の休校式には、8人の在校生や住民ら約60人が出席。開校から毎年度の卒業写真をスライドで上映し、74年の歴史を振り返った。
1947年、旧上ノ加江町立の学校として開校。最盛期は336人が在籍し、3035人の生徒を送り出した。4月からは久礼中に統合する。
式では、平松順二校長が声を詰まらせながら「豊かな自然と人の温かさに包まれた、素晴らしい理想の学校。すべての皆さんに感謝します」とあいさつ。
最後の卒業生で生徒会長だった津野玲佳さん(15)は「地域から愛されていると3年間日々実感した。協力し合う大切さで学んだ〝上中(かみちゅう)プライド〟を忘れません」と力強く誓った。
最後に出席者全員で校歌を斉唱し、名残を惜しんでいた。(富尾和方)
地域の住民に感謝 川登小・大川筋中(四万十市)
(高知新聞 2021 年 3 月 25 日掲載)
川登小学校と大川筋中学校は合同で休校式を開催。住民や卒業生ら約70人が集まった。
川登小は1881(明治14)年に寺子屋として、大川筋中は1947年に明星中として開校。ピーク時はそれぞれ252人、127人の児童生徒を数えた。小学校は中村小、中学校は市立中村中と統合する。
式では、最後の在校生となった児童5人、生徒3人全員が思い出を発表。「運動会で応援してくれ、競技にも参加してくれた」「ボランティアで本の読み聞かせに来てくれた。ありがとう」と、住民への感謝を述べた。
大川筋中3年の土岐聖矢さん(15)は「大人になったら、地域に何か恩返しがしたい」。川登小6年の山本生人君(12)は「休校式は悲しいだけと思っていたけど、これまでの楽しい思い出がたくさんよみがえってきた。この地域で過ごせて本当に良かった」と笑った。
大川筋地区区長会長の田辺伝さん(77)は「学校から子どもの声が聞こえなくなるのは本当に寂しい。子どもは地域の宝。これからも見守っていく」と話した。(平野愛弓)
思い出 ずっと胸に 松田川小(宿毛市)
(高知新聞 2021 年 3 月 25 日掲載)
松田川小学校の閉校式には、児童41人と保護者、近隣の地区長らが出席した。
1972年の開校後、今年の6年生7人を含め約千人が卒業。今春から宿毛中学校との合築校舎となる宿毛小に統合する。
この日は中平富宏宿毛市長や出口君男教育長らが式辞を述べ、野中道八校長が「閉校を悲しいこととは捉えたくない。より良い教育環境を整え、未来へ進む子どもたちをこれからも応援したい」とあいさつした。
6年の山岡みなみさん(12)が「とても寂しいですが、思い出をずっと心にしまっておきます。ありがとう、お疲れさまでした」と、学びやに別れを告げた。
出席者全員で「ふるさと」を合唱。6年生の保護者で自身も卒業生の水野智子さん(41)=同市二ノ宮=は「自分の学校生活まで思い出して感慨深かった。子どもが最後の卒業生で良かったです」と話していた。(新妻亮太)
147年の歴史...さよなら中川内小中学校 閉校式に卒業生ら100人(室戸市)
(高知新聞 2021 年 3 月 28 日掲載)
室戸市羽根町甲の中川内小中学校で27日、閉校式が行われ、児童生徒や卒業生ら約100人が147年の歴史に幕を下ろす母校との別れを惜しんだ。
同校は、1874年に地元の庵寺で羽根小学校が始めた出張授業が前身。同小分教場などを経て1953年に独立して以来、小学校で318人、中学校で339人の卒業生を送り出した。
児童生徒が減少する中、山村留学制度を導入するなど地域と協力して存続を図ったがかなわず、4月から羽根小、羽根中に統合されることになった。
式では最後の児童2人と生徒6人が壇上で「たくさんの人たちに支えられ、いろんなことを学びました」などと思いを披露。前田久尚校長は「中川内小中のよき伝統と誇りを宝物に、夢の実現を目指すと信じている」とエールを送った。
中学3年の中野仁誠さん(15)は「学校生活は楽しく、人数が少ない分、一人一人が主役になった」と振り返った。(大野耕一郎)
興津中74年の歴史に幕 閉校式で最後の防災学習発表(四万十町)
校舎に防災ミュージアム開館
2020年度限りで幕を閉じる高岡郡四万十町の興津中学校の閉校式が28日、興津小中学校体育館で行われ、卒業生や住民ら約120人が、74年間で2135人を送り出した学びやとの別れを惜しんだ。
同校は1947年開校。70年代には県中学総合体育大会女子団体8連覇など卓球の強豪校として鳴らし、近年は2018年に兵庫県など主催の「ぼうさい甲子園」で最高位のグランプリに輝くなど、防災学習で実績を上げてきた。
しかし過疎少子化により、ピーク時219人いた生徒は年々減少。20年度は3年生3人だけになっていた。
卓球や防災学習などで獲得した多数のトロフィーや賞状が飾られた体育館で開かれた式では、田上祐一校長が「地域に見守られて歴史と伝統を築いてきた学校。長きにわたってのご尽力に感謝を申し上げる」とあいさつ。
今年の卒業生3人による最後の防災学習発表も行われ、地区内での津波到達時間表示板設置などの活動を紹介。浜崎恵里生徒会長が「閉校後も命を守る活動がさまざまな場所で発展していくことを願います」と結んだ。
津波到達時間表示板や地区の全戸に配布してきた防災新聞など、同校の防災学習の成果は校舎の一室に展示。この日「興津ぼうさいミュージアム」として開館した。また、閉校記念碑の除幕式も行われた。(井上太郎)