流産・死産の経験、語れる場を|高知市の助産師・木村和佳さんが「高知てるてるぼうずの会」
当事者として、助産師として、流産・死産経験と向き合い、集う会を開いています
「流産、死産を経験した人が、わが子について語り合う場をつくりたい」。そう考え、活動する助産師さんがいます。
高知市の木村和佳さん。自身も初めての妊娠で流産を、そして 4 人目の子どもで死産を経験しました。
「無事に生まれてきてほしい」という願いがかなわなかったことにどう向き合えばいいのか。悩み、迷いながら、「高知てるてるぼうずの会」を立ち上げました。当事者として、そして助産師として、「参加した人の気持ちが少しでも晴れるように」と願っています。
※ 2022 年 2 月 7 日更新。集いの会の開催情報を追記しました。
木村さんは高知市出身。助産師として京都の病院で働いた後、高知にUターンしました。現在は「きむら助産所」を開業し、地域の助産師として、赤ちゃん訪問や産後ケアなどに取り組んでいます。
家庭では小学 5 年生と 2 年生の姉妹のお母さん。「人に説明する時は 2 児のママですが、私自身の気持ちは 4 児のママです」と木村さんは語ります。
頑張っても、生きているこの子には会えない
初めての妊娠は 28 歳の時。喜んだのもつかの間、妊娠 7 週で流産しました。その後、長女、次女が生まれ、4 人目を授かったのが 2016 年のこと。「初めての男の子。家族みんなで楽しみにしていました」
妊娠 39 週に入り、予定日まであともう少しとなった 2017 年 1 月。木村さんは赤ちゃんの胎動が感じられなくなったことに気付きます。すぐに病院へ。心音は取れず、超音波検査で心臓が動いていないことが分かりました。
「助産師なので、動いていないことはすぐに分かりました。エコーの映像が強く印象に残っていて、あとは記憶があいまい。よく覚えていません」
おなかの中で亡くなった赤ちゃんは「死産」となります。お母さんは赤ちゃんをおなかから出すため、人工的に陣痛を起こし、出産と同じように産むことになります。
木村さんは陣痛を待ち、3 日目に陣痛促進剤を使って産みました。「出産と同じ痛みですが、頑張って耐えても、生きているこの子には会えない」。赤ちゃんに自ら生まれ出る力はなく、一緒に頑張れないことにむなしさを感じました。
赤ちゃんに会えたのは 1 月 10 日。体重は 3500 グラムを超えていました。窓の外には、澄んだ青空が広がっていました。
相手の喜びの顔を、自分のせいで変えてしまう
赤ちゃんには「光孝(てるたか)」という名前を付けました。木村さんは光孝ちゃんと少しでも長く一緒にいるため、わずか 1 日で退院し、家族でお別れをしました。
お別れの後、木村さんは、光孝ちゃんがいない現実にどう向き合っていけばいいのか分からなくなりました。
「予定日の 2 日前の死産だったので、もう隠せないんです。保育園のお迎えに行くと、他のお母さんたちは当然、『あっ、生まれたんだ!』みたいな笑顔になりますよね。だから、『生まれた?』と聞かれる前に、自分から説明しました」
死産を告げられた相手は困惑し、笑顔が消えました。喜びの顔を自分のせいで変えてしまう。「気にすることはない」と言われても、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
仕事にも支障を来しました。赤ちゃん訪問では、元気に育つ赤ちゃんを見るとたまらなくなりました。「『この子、てるより小さく生まれたのに…』とか『私もベビーマッサージしたかった』とか。仕事での気持ちの持って行き方が分からないんです」
助産師を続けるのがしんどい。でも、今ここでやめたら、てるのせいになる。諦めたくないけれど、気持ちが消化できない…。葛藤しながら、「流産や死産を経験した他の人は、どうやって乗り越えているんだろう」「経験者が語り合える場がほしい」と考えるようになりました。
話すことが癒やしになる
流産や死産を経験したお母さんたちが集まれる場所は、高知県内にはありませんでした。
「死産でもお母さんが頑張って産んだことに変わりはないのに、認められないし、産後のケアも受けられない」「流産や死産をした人へのサポートを途切れさせてはいけない」
木村さんはそう考え、当事者として、そして助産師として、2019 年に会を立ち上げました。名前は「てるてるぼうずの会」。光孝ちゃんから名前をもらい、「てるが生まれたあの日の空のように、気持ちが晴れるように」という願いを込めました。
会を立ち上げたものの、活動することは木村さんにとって簡単なことではありませんでした。
「流産や死産の捉え方はそれぞれ違うので、相手の気持ちを推し量りながら少しずつ話していきます。自分のことを打ち明けるのにもエネルギーが必要です」。参加を申し込んでくれた人とスケジュールが合わなかったこともありましたが、「積極的に活動するところまで、まだ気持ちが行っていませんでした」。
その後、同じように死産を経験した知人との出会いを経て、2020 年 7 月に初めて集いの会を開催。以前にスケジュールが合わなかったお母さんが再び申し込んでくれました。お互いに「悲しい」という気持ちを共有しながら、亡くなったわが子の話をしていく中で、「息子のママ友ができた感覚でした」。参加者は「楽しかったです」と笑顔で帰っていきました。
「流産や死産について『隠したい』という人もいれば、『誰かに話したい』という人もいます。話したい人が集まれる場はやはり必要で、話すことが癒やしになるんだと実感しました」
おばあちゃんになっても泣いていい。「お母さん」に限定しない活動を
活動の一環で、大切な人を失った人への「グリーフケア」についても学び始めました。研修では、20 年以上前にわが子を死産した人から話を聞きました。「その時の状況を振り返って涙を流している姿を見て、何年たっても気持ちは変わらないし、何年たっても泣いていいんだと思いました」
「てるてるぼうずの会」では、参加者を「お母さん」に限定していません。広く「流産・死産を経験された方」と呼び掛けることで、「おばあちゃんになっていても、家族の方でも集まれる場にしていけたら」と木村さん。1 月 9 日には 2 回目を開催。出産直後に赤ちゃんが亡くなったお母さんと語り合いました。
2022 年は季節ごとに 4 回開催する予定です。当事者だけでなく、医療関係者にも活動を知ってもらうため、「今年は発信に力を入れていきたい」という木村さん。
「てるに導かれ、家族に支えながら活動ができているなと感じます。流産・死産への向き合い方に正解はありませんが、『話をしたい』と思ったら来てほしいなと思います」