「男の子あるある」って本当?「男らしさ」を押し付けない子育てについて、弁護士・太田啓子さんが語りました
性差別・性暴力をなくすためには子ども時代からの教育が必要。「ソーレ」の講演会で考えました
「男の子ってばかだよね」「男の子はやんちゃだからしょうがない」「男の子だからしっかりしなさい」…。男の子を育てる皆さん、こう言われたり、言ったりした経験はありませんか?
そんな“男の子あるある”から子育てを考える講演会が、こうち男女共同参画センター「ソーレ」の主催で開かれました。
講師は弁護士の太田啓子さん。男の子が周囲から求められる「男らしさ」の裏側にある問題をひもとき、「性差別や性暴力をなくすためには子ども時代からの教育が必要」と語りました。
目次
太田さんの講演は「ソーレまつり 2022 」の記念講演会として 2022 年 1 月 30 日にオンラインで開かれました。
太田さんは弁護士で、離婚、相続、損害賠償請求などの家事事件や一般民事事件を扱っています。2020 年に発売された著書「これからの男の子たちへ 『男らしさ』から自由になるためのレッスン」でも知られています。
家庭では中学 1 年と小学 4 年の男の子のお母さん。弁護士として、そして子育ての当事者として、「性差別、性暴力をなくしたい」と活動しています。
「男らしさの呪い」とは?
これからを生きる男の子たちに「『男らしさ』の呪いから自由に生きてほしい」「性差別・性暴力に積極的にあらがってほしい」と呼び掛けている太田さん。講演では「男らしさ」と性差別・性暴力との関係について、さまざまな角度から説明しました。
その一つが「セクハラ」です。太田さんが弁護士として関わる前に想像していたのは、事実関係について争う事案でした。
女性「無理やりホテルに連れ込まれ、体を触られました」
男性「ホテルなんか行っていない!」
実際は次のようなやりとりが多いそうです。
女性「無理やりホテルに連れ込まれ、体を触られました」
男性「ホテルに行ったけど、それが何か?いい雰囲気になって合意の上だった。大人の付き合いだ」
「事実の認定ではなく、『合意があったか、なかったか』が争いになります。セクハラをセクハラだ、レイプをレイプだと認知できない男性が本当に多い」と太田さん。妻に対し、DVやモラルハラスメント(モラハラ)をする夫にも、「女性との関係において極端なゆがみがある」と説明します。
【DV・モラハラ夫の特徴】
- 妻を罵倒し非難しつつ、離婚を拒否する。暴力をふるいながら「愛している」と言う
- 弁護士や裁判所の介入を極端に嫌がる
- 話し合いができない
- 泣いて謝罪した後、妻が許さないとキレる
- 「妻が自分を立ててくれなくなった」と不機嫌になる
DVやモラハラをする男性は、女性との関係が対等であることを嫌い、「女性より上にいたい」「女性に自分が思うような行動を取らせ、支配したい」と考えています。「会社や地域ではそれなりに『よき市民』であったりします。生まれた瞬間はまっさらな赤ちゃんだったはずで、どうしてこうなったのか、どうしたらこうならなかったのかを知りたいと考えるようになりました」
経済力からも、性差別構造が垣間見えます。「男性と女性の経済格差は深刻。男性に経済的に依存しないと生活ができない女性が多いですし、『夫に養ってもらえるはずでしょう』という理由で雇用の質が低い」。
育児・家事負担の差、女性管理職が少ないことなども日本の性差別構造につながっています。世界経済フォーラムが 2021 年に発表した日本のジェンダーギャップ指数(男女平等の度合い)は 156 カ国中 120 位です。
やんちゃ、カンチョー、好きな女子に意地悪…“男の子あるある”は間違った思い込みにつながるかもしれません
社会的な背景に触れた上で、太田さんは日常の子育てで言われる“男の子あるある”から見える問題を紹介しました。
まず、「男子ってばかだよね」問題。「幼稚で、笑っちゃうことを男の子がすると、ママ友同士で『男子ってばかだよねー』と話したりしませんか?やんちゃなことをしても諭さず、『男の子はそういうもの』と流したり」
いたずらの中でも、カンチョーは「おばかなギャグではなく、性暴力です」。スカートめくりも同じで、放置することで、ハラスメントをハラスメントして認知できず、性暴力の矮小(わいしょう)化につながると指摘します。「『男子は好きな女子に意地悪しちゃうもの』という言説も同じですね。『好きだから許してもらえる』という間違った思い込みにつながります」
さらに、「親から子へ、祖父母から孫へ、愛情があっても性差別はある」と太田さんは話します。
例えば、「女の子だから、勉強はほどほどでいい」と女の子に伝える、男の子に対して「お姉ちゃんよりもいい大学に行きなさい」と発破を掛ける。「きょうだいの中で女の子にだけお手伝いをさせるというのもありますね」
「男の子だから」「女の子だから」は必要?
こういった話をすると、「『男らしさ』はいけないことなのか」という疑問も寄せられるそうです。太田さんは「男らしさを期待する裏には『女だったらそうでなくてもいい』という女性蔑視のメッセージが隠されている」と説明します。
例えば「男の子だから勉強をがんばりなさい」という声掛け。一見問題がなさそうですが、この声掛けは裏返すと「女の子だから勉強を頑張らなくてもいい」となります。
「『男の子だから』『女の子だから』とあえて性別を言わなくても、『あなたなら挑戦できる』でいい。『男らしさ』の裏側には性差別、女性への侮辱があるということを大人が自覚する必要があります」
「男らしさの呪い」はさらに続きます。
太田さんが紹介したのは、人権教育に取り組むNPO法人の調査。暴力を受けた時の対応について、高校生に聞きました。
女子では「誰かに話を聞いてもらう」がトップだったのに対し、男子のトップは「やり返す」。「暴力を受けたら恥ずかしい、みっともないと捉えるのでしょう。『やられたらやり返せ』と、女の子は言われませんよね。男の子は尊重されているのでしょうか。男らしさを押し付けられ、競争に勝つことに過剰に追いやられているのではないでしょうか」
性差別構造の中では、男性は「マジョリティ」です
「男らしさ」に縛られることによる男性の生きづらさも見えてきました。その一方で、太田さんは「性差別構造の中では『男性』というマジョリティとしての特権を持っていることを自覚してほしい」と呼び掛けます。
マジョリティとは「多数派」という意味。この場合は「差別されない側」で、差別を受ける側は「マイノリティ」です。性差別に限らず、あらゆる差別問題について、「自分がマジョリティ側であると、その問題が見えづらい」とされています。マジョリティの人は、マイノリティの人が差別によってぶつかる壁にぶつからないので差別を意識せずに暮らしていける、という意味で「特権を持っている」と説明されます。
性暴力を例に挙げると、痴漢に遭うのは圧倒的に女性が多いのが現状です。「痴漢の話をすると、不機嫌になったり、『痴漢にはえん罪がある』と話をそらそうとする男性がいます。差別に無頓着であることを指摘されるのは居心地が悪いのですが、慣れる必要があります」と太田さん。
「『性差別をなくそう』という運動も男性を抑圧するものではないのに、女性に攻撃が向けられることがあります。男性であるあなたを批判しているのではなくて、性差別について一緒に怒ってほしいんです」
そのエロネタ、笑っていいの?性差別・性暴力につながる表現へのリテラシーを持とう
「男らしさの呪い」、そして男性が持つ「マジョリティの特権」を学んだ上で、性差別や性暴力をなくすための教育について考えました。基本となるのは性教育。性的な行動には「性的同意」が必要であることに加え、「性暴力の加害者的な発想につながりそうな表現へのリテラシーを持つこと」が大事です。
例えば、男の子が好きな女の子のお風呂をのぞいてしまう、もしくはのぞこうとしてテンションが上がるというシーン。アニメなどでは「エロネタ」として扱われます。
「『アニメでの表現』と言われますが、女の子が嫌がっていること、恥ずかしがっていることをエロく描くことは、性的同意への感受性を鈍らせ、性暴力を軽んじることにつながるのではないかと、私は考えます」
こんな場面では、太田さんは息子たちに次のように伝えています。
「子どもが何歳でも、気になったら一つ一つ伝えてきた」と太田さん。息子も理解し、今では「今からのシーン、ママが言いたいことは分かってるからね」と伝えてくるようになったそうです。
そんな環境で育った長男は小学 6 年生の時、太田さんにこんな悩みを打ち明けました。
明らかな性被害をセクハラとして笑いに変えようとしている。いけないことだけど、男友達との関係も気になる…という場面。大人の社会でも、例えば目の前で上司が部下に「冗談」と称してセクハラ発言をするということが起こり得ます。太田さんはこう答えました。
ここで提案したのは「笑いに同調しない」ということ。「しらける人が増えれば、笑いとして機能しなくなる」と伝えました。「その場で『セクハラだよ』と指摘する。『そうかなぁ』とつぶやく。その場では何も言えなくても、後でその女の子をフォローするなど、いろいろな対応が考えられます。親が子どもと一緒に悩み、話し合うことが大事だと思います」
身近に当たり前のように存在する“男の子あるある”を肯定することが、性差別や性暴力につながる芽となるかもしれない。太田さんの話を聞き、親としてそう気付かされました。性差別や性暴力に対して「おかしい」と声を上げる大人になってほしい。そのためには、日常生活で口癖のように使っている「男の子だから」「女の子だから」をやめることから始めたいと感じた講演でした。