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【ココハレインタビュー】弁護士・中島香織さん|「寂しい」と感じている子どもたちに、ほっとできる居場所をつくりたい

【ココハレインタビュー】弁護士・中島香織さん|「寂しい」と感じている子どもたちに、ほっとできる居場所をつくりたい

2024年3月に子どもシェルター「おるき」開所!医療、福祉と連携し、子ども支援に取り組んでいます

2024 年 3 月、高知県初の子どもシェルター「おるき」が開所します。

NPO法人「子どもシェルターおるき」の理事として運営に携わっているのが弁護士の中島香織さん。2008 年に高知で弁護士活動をスタートして以来、子どもや犯罪被害を受けた人など、弱者に寄り添い、新しい支援の形をつくり出してきました。

子どもたちへの支援活動の原点となっているのが、少年事件で出会った子どもたちです。「『寂しい』と感じている子どもたちに、ほっとできる居場所をつくりたい」と語る中島さんに、お話を聞きました。

子どもシェルターの開設を訴えてきました

2023 年 12 月、高知市朝倉戊の高知県立ふくし交流プラザで、子どもシェルター「おるき」の開設記念シンポジウムが開かれました。

子どもシェルターは、子どものための緊急避難場所です。児童相談所の一時保護所では過ごしづらい子どもや、18 歳以上のため一時保護所を利用できない子どもが対象となります。

シンポジウムでは、親から虐待を受け続けてきた子どもや、家にいられなくなって非行に走る子どもなどの事例が紹介され、シェルターの役割を考えました。

子どもシェルター「おるき」のシンポジウムで語る中島さん(2023年12月)
子どもシェルター「おるき」のシンポジウムで語る中島さん(2023年12月)

パネルディスカッションで司会を務めたのが、中島香織さん。子どもシェルター立ち上げの中心となった一人です。

中島さんは 2009 年に日本弁護士連合会の「女性と子どもの貧困部会」に所属。子どもたちが安心して過ごせる居場所が必要だと考え、子どもシェルターの開設を訴えてきました。

シンポジウム終了後、「もう 10 年以上になりますね。やっとここまで来ました」と笑顔で語りました。

子ども時代は「変な子」だった?!本やテレビが大好きでした

中島さんは 1976 年、高知市で生まれました。

小学校時代は「学校が終わると、くたくたでした」。放課後は 1 人で静かに過ごしたいタイプ。友達に「遊ぼう」と誘われると、「おばあちゃんちに行くから」と断り、読書やテレビを楽しみました。

「横溝正史シリーズが好きで、ドラマをずっと見てました。古谷一行さんの金田一耕助シリーズとか。遊びの誘いを断るために仮病も使ったし、うそも結構多かったし、今思うと変な子でした」

「本やテレビが大好きな子でした」と語る中島さん
「本やテレビが大好きな子でした」と語る中島さん

映画鑑賞も好きで、通訳の戸田奈津子さんに憧れます。「私も字幕を作る仕事がしたい」と考え、中学、高校では英語の勉強に励みました。さらに、当時のバンドブームにも影響を受け、「東京に行かなきゃ!」。東京外語大学のモンゴル語学科に進みました。

「勉強は好きだったのに、大学に受かったら全くしなくなりました。お金がないと遊べないので、いろんなバイトをしました。ディズニーで働いたり、学生向けの日雇いバイトをやってみたり。大学にはそこそこ通いつつ、バイトバイトで、単位はギリギリでした」

大学 2 年の夏、思い立って四国遍路に出ます。

「人間関係でいろいろあって…。ホームシックもあったんでしょうね。でも、親には知らせずに歩き遍路を始めました。親は心配して、捜索願を出そうかというところで私が電話して。残りは一緒に回ってくれました」

ブラック業界で疲弊…「何もしない日々」から一転、司法の道へ

その後、大学を休学。映像の勉強をしながら復学し、卒業しました。

卒業後に入った映画業界は「ブラック、ハラスメント、低賃金でした」。中島さんは次第に疲弊し、1 年を過ぎると心身が悲鳴を上げました。「じんましんが出て、駅から職場に行けなくなっちゃって、もうだめだと」

仕事を辞め、しばらくは「何もしない日々」を過ごしました。

「図書館に行って、唐揚げ弁当を買って家に帰って、ビールを飲むという毎日。不健康でしたね」

パートナーの一言が、人生の転機となりました
パートナーの一言が、人生の転機となりました

そんな姿を見て、「司法試験を受けてみたら?」と声を掛けたのが、後にパートナーとなる男性でした。手渡された予備校の案内には「司法試験に 2 年で合格する」というコースがありました。学費は 80 万円で、当時の中島さんの貯金と同じ額。

「彼は私の生活を変えなきゃと提案してくれたんだと思います。『受かるまで生活の面倒は見る』と言われて、そしたら受けてみようかなと」

「勉強はもともと好きだったので、受験勉強は苦ではなかったです。難しい試験だと後から知ったんですが、貯金も全額使っちゃったしなぁ…と(笑)」

1 人でこつこつ勉強するうちに「だんだん健康になった」そう。こうして、これまでの人生で思ってもみなかった司法の道を歩み始めました。

出産から2カ月後、司法修習生に!「法テラス高知」で弁護士活動が始まりました

司法試験には 2005 年、 3 度目のチャレンジで合格しました。1 次試験の後に妊娠が分かり、つわりを乗り越えての合格です。

2006 年 2 月に里帰りで長男を出産し、4 月には埼玉県和光市にある司法研修所に入りました。司法研修所とは、司法試験に合格した「司法修習生」が裁判官、検察官、弁護士になる前に研修を受ける場所です。

「産後 2 カ月だったので、高知から母が来て、手伝ってくれました。研修所には搾乳できる部屋があって、私ともう 1 人が使いました。1 年休んでから入ればよかったなと、今なら思うんですが」

進路を決める中で、お世話焼きの同期が教えてくれたのが「法テラス」でした。法テラスは正式には「日本司法支援センター」です。法的なトラブルを抱えて困っている人が必要な情報やサービスにたどり着けるように案内する機関です。

「弁護士修習でお世話になった都内の事務所がとても良くて、『ここに就職したい』と思ったんですが、『中島さんは法テラスのスタッフ弁護士になるんだよね?』と言われて。そうか、そういう流れなら乗ってみようと」

DV被害者が定額給付金を受け取れる特例措置を求めて申し入れをする中島さんたち。法テラスの弁護士として、関係機関との連携を進めていきました(高知新聞2009年4月25日掲載)
DV被害者が定額給付金を受け取れる特例措置を求めて申し入れをする中島さんたち。法テラスの弁護士として、関係機関との連携を進めていきました(高知新聞2009年4月25日掲載)

弁護士となった中島さんは 2008 年 9 月、「法テラス高知」のスタッフ弁護士に就任しました。当時、31 歳。2 歳の長男を連れて、高知に単身赴任です。

法テラスに寄せられる主な相談はDV被害、離婚問題、借金の債務整理など。経済的な問題を抱えている人も多く、中島さんは仕事にまい進しました。

「支援はあっても使いにくいとか、ここに支援が欲しいのにないとか。弁護士の仕事だけでなく、関係機関にニーズを聞きに行き、連携していくことが自然と増えました。『使いにくいところを調整する』というのは自分に向いているし、法テラスのスタッフ弁護士になってよかったなと感じました」

「物を盗んだら、親に分かってもらえると思った」…少年たちの言葉に導かれ、居場所づくりへ

2015 年、高知市内に「みんなのひろっぱ」がオープンしました。虐待や貧困などで安心できる居場所を見つけることができない子どもたちのために、心安らぐ場所を提供する取り組みです。

設立、運営を担ったのは中島さんたち若手弁護士と県家庭教育サポーター、司法書士らで結成した「こども支援ネット みんなのひろっぱ」。中島さんが代表を務め、ボランティアの支援スタッフらと食事の提供や学習支援などを行いました。

「子どもたちに安心できる居場所をつくりたい」。有志で検討を重ね、試行錯誤してきました(高知新聞2013年4月23日掲載)
「子どもたちに安心できる居場所をつくりたい」。有志で検討を重ね、試行錯誤してきました(高知新聞2013年4月23日掲載)

中島さんがライフワークとする子どもの居場所づくりの原点は、少年事件で関わってきた子どもたち。万引や窃盗などの非行を繰り返す子どもたちは「物を盗んだら、親に分かってもらえると思った」「お金があれば、一緒に遊んでくれると思った」と打ち明けました。

「非行の背景には貧しい暮らし、寂しい暮らしがあるのだと、子どもたちに教えられました。どうしたら防げるのか。もっと早く、鑑別所や警察署じゃない所でこの子たちに会えていたらと思いました」

いじめや体罰、親の離婚や虐待…。悩みを抱える子どもたちに向けて、高知弁護士会では「子どもの権利110番」に取り組みました(高知新聞・読もっか2015年7月24日掲載)
いじめや体罰、親の離婚や虐待…。悩みを抱える子どもたちに向けて、高知弁護士会では「子どもの権利110番」に取り組みました(高知新聞・読もっか2015年7月24日掲載)

子ども支援の活動を通して、ずっと温めてきたのが「子どもシェルター」の開設でした。中島さんの訴えに共感した団体から 2012 年に資金援助を得て、ニーズ調査を実施。ニーズに基づき、シェルターではなく、緩やかな子どもの居場所づくりを始めることになり、「みんなのひろっぱ」へとつながりました。

その後、子どもの居場所の一つとして、やはり子どもシェルターが必要だと、中島さんは考えます。

「公的制度には網の目があって、支援できない子どもたちがやっぱりいるんですね。ずっと、『誰かつくってくれないかな…』と思っていました」

2021年、岡山の子どもシェルターの関係者から、運営資金の情報を得ます。

「『助成金があるよ。中島さん、子どもシェルターを高知につくってね』と言われて、『はい!』と。引き受けたものの、さあどうしよう…と」

子どもシェルター「おるき」の開設記念シンポジウムにて。2024年3月の開所に向けて、準備も大詰めです
子どもシェルター「おるき」の開設記念シンポジウムにて。2024年3月の開所に向けて、準備も大詰めです

子どもシェルター開設に向けて、再び動き始めた中島さんの呼び掛けに応えたのが、「ほっとぽーと高知」のメンバーたち。県内の医師や福祉施設の職員らでつくる子育て支援ネットワークで、中島さんも参加しています。

「日頃の大変なことや現場の困りごとも話し合える理事会なんです。子どもシェルターの提案をしたら、『欲しいと思っていた』という声が多くて。やってみようとなりました」

こうして、子どもシェルターの運営を担うNPO法人「子どもシェルターおるき」が誕生。開設は 2024 年 3 月と決まりました。「今は準備で、もう大変!」。そう話しながら、笑顔の中島さんです。

子どもは親の思い通りに動かない…子育てしている自分を「すごい」と思ってほしい

子どもシェルターでは、子ども一人一人に担当の弁護士が付きます。「子ども担当弁護士」なので「コタン弁護士」と呼ばれていて、子どもの話を聞き、退去後の生活や住まいを一緒に考えます。

子ども支援に携わる立場から、子育て中のお父さん、お母さんたちに伝えたいのが「思い通りにならない体験を大切にしてほしい」というメッセージです。

「自分も含めてなんですが、赤ちゃんを育てたことがある人はすごい、と思っています。苦しい思いをして産んで、生まれたらもっと大変じゃないですか。私も『赤ちゃんって、こんなに何にもできないものなの?!』とびっくりしました」

「イヤイヤ期とか反抗期とか、親の思い通りに子どもが動いてくれないという体験を、親御さんはたくさんされていると思います。そういう体験をしながら子どもを育てている私たちはすごい、と思ってほしいです」

「思い通りにならないという体験を大切にしてほしいです」
「思い通りにならないという体験を大切にしてほしいです」

赤ちゃんの頃は何もできなかったわが子は、一歩ずつ成長していきます。できなかったことが、できるようになります。「最初はみんな赤ちゃんだった」ということを、他者に対しても普段から心の隅に置いておくと、気持ちが楽になると、中島さんは考えています。

「例えば、お子さんの同級生とか、近所の子どもとか、ちょっと眉をひそめてしまう行動をする子どももいると思います。そういう子どもを、どうか排除しないでください」

「無理に受容してくださいというのではありません。何か問題があった時に、無理に受容もしないけれど、排除もしない。『子どもにはそれぞれ違いがある』『できて当たり前ではない』と思っていただけたら。『できて当たり前』という社会はとても息苦しいですよね」

「『できなくて当たり前』と思って接したら、できた時にとてもうれしくなりますよね」
「『できなくて当たり前』と思って接したら、できた時にとてもうれしくなりますよね」

通常の弁護士業務に加えて、多岐にわたる支援活動に携わる中島さん。今後の目標を尋ねると、「うーん、あまりないですね」と意外な答えが返ってきました。

「そもそも私自身に『こうしたい』というのがあまりなくて、人生ずっと、流れに乗ってきたというか。弁護士になったきっかけからそうなんですが(笑)」

「仕事をしていると、やらなきゃいけないことが次々と出てきます。支援を必要としている人に届くように、いろんな方と連携しながら、一つ一つ解決していく。これからもきっと、そうなんだろうなと思います」

 

子どもシェルター「おるき」は 2024 年 3 月の開所予定です。ココハレで紹介しています。
虐待、非行…居場所をなくした子どもに緊急避難場所を|子どもシェルター「おるき」が2024年3月、高知県内に開所します

NPO法人「子どもシェルターおるき」のウェブサイトでは運営に必要な寄付を募っています。

この記事の著者

門田朋三

門田朋三

小 2 と年中児の娘がいます。「仲良し」と「けんか」の繰り返しで毎日にぎやかです。あだなは「ともぞう」。1978年生まれ。

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