小学4年生で思春期突入?!「クソババア!」と言われました|「ママと記者やってます・62」

毎日が体力・気力勝負! 40代ママ記者による子育てコラム
ココハレ編集部員であり、40 代ママの門田がお届けする子育てコラムです。子育てに泣いて笑って、怒ってしまって反省して…、どたばたの姉妹育児をご紹介します。
小学 4 年生になった長女が、ちょっとしたことでイライラするようになりました。たしなめた私に言い放ったのが「クソババア!!」。どうやら思春期が始まったようです。
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新生活が始まった4月、長女の機嫌が悪くなりました
それは、思いかげず早くやって来ました。
小学 4 年生に進級し、新しいクラス、新しい先生での生活がスタートした 4 月。長女がちょっとしたことでイライラするようになりました。
次女とけんかしてはイライラ。私に「お風呂に入って」「ピアノの練習したの?」と言われてはイライラ。
通常運転ではありますが、イライラし始めるまでがいつもより早いような…。

「学校で何かあった?」「友達とけんかした?」と尋ねても「別に」。困っていることが言えなかったり、親に隠したりしているわけではなく、本当に何もなさそうです。
「じゃあ何?何が気に入らないの?」ともやもや過ごしていたある週末、夫が算数の問題を教えていた時に“事件”は起こりました。
「もう解けん!分からん!」「問題が悪い!」「お父さんの教え方が悪い!」
一人でヒートアップした後、夫に「クソジジイ!!!」。たしなめた私には「クソババア!!!」。
どちらも思春期のパワーワード。ああ、ついに言われてしまった…。
体は大きいけれど、中身は2歳児?!
おなかで小さな命を育み、痛みをこらえながら産んで、もうすぐ 10 年。そうか、そんなことを言う年にもうなっちゃったのか…。もっと遅いと思っていたのにな…。
とても感慨深くはありますが、「クソジジイ」も「クソババア」もいい言葉ではない! それに、言われたら腹も立つ!
ということで、「イライラするのは分かるけど、言われたら傷つく」「一人になって落ち着いてきて」と伝えました。
私たちとしては直接対決を避ける提案だったのですが、長女はなぜかそこから離れません。
「ばーかばーか」「お父さんもお母さんも知らん!」「みんなが悪い!」…。悪態はしばらく続きました。

口頭でイライラをぶつけてくる姿に、2 歳頃のイヤイヤ期の姿がよみがえりました。床や道端でひっくり返って手足をバタバタさせてはいないけれど、やっていることはきっと同じなんでしょう。
あの頃は「イヤだよねえ。分かる分かる」となぐさめたり、おもちゃや絵本を渡して気分を変えさせたり、手に負えない時は抱き上げて強制終了もできました。
大きくなった今はどうしようか。試しに横に座ろうとすると、「こっちに来ないで!」。構ってほしいサインを出しているのに、「来ないで」とは。反抗期とはやはり理不尽です。
力で押さえつけないように、でも言うべきことは言う
先日取材した研修会で、「クソババアという言葉を子どもが成長し、親の力を乗り越えて自立しようと歩み始めた証しと捉えると、子どもの見方が変わる」と聞きました。
親の力を乗り越えようとしているのなら、力で押さえつけたり、親の意に添うように誘導したりという子育てはしてはいけないとあらためて思います。
しかし、単なるわがままを押し通そうとするのは見過ごせません。言うべきことは言わねばと向き合うと、だいたいバトルになります。
「外出して物を買ってもらう時には調子よくにこにこしているのに、約束していた勉強やピアノは『やりたくない』を丸出しで嫌々、だらだら取り組むのはいかがなものか!」。そんな言い合いにも疲れていきました。

気をつけながら長女に向き合っているつもりですが、もしかしたら長女は「いつもお母さんに怒られてばかり」と不満を抱いているかもしれない。そう思い、先日はこんな話をしてみました。
私:もしかして、「お母さんっていつも嫌なことばかり言う」「怒ってばっかり」って思ってる?
長女:うん。
私:そうかー。知ってると思うけど、お母さんは○○(長女のこと)を応援しているんだよ。将来、自分の好きな道を歩んでほしくて、そのために「今はこれが必要だよ」と思うことを親として伝えてるんだけど。
「応援しているんだよ」の瞬間、長女の顔がにまっとしました。何だ!うれしいのか!

調子に乗った私は、さらに続けました。
私:知ってると思うけど、お母さんは○○が大好きなんだよ。
長女:そういうの、いいから!(その場から離れる)
以前なら「○○も大好きー!」と言ってくれたのに…。このあたりのつれなさが思春期なんでしょうね。
イライラをぶつけられるのはしんどいですが、親に気持ちを素直に表現してくれるのはありがたいことなのかもしれません。
「思春期はめんどくさい」という先輩ママ・パパの言葉をかみしめながら、イヤイヤ期にはなかった「かわいさ」を見いだしながら、できるだけ冷静に向き合っていきたいと思います。
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