不登校の隠れた背景の可能性も…「ギフテッド」「2E」とは?学校で必要とされる支援とは?|日本ギフテッド・2E学会が発足。高知大学教授の是永かな子さんに聞きました
「ギフテッド」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
先天的に高い知能や特異な才能を持つ人たちのこと。例えば、「小学生で高校の数学まで全部理解した」などが知られています。
恵まれた才能のように思えますが、実際は生きづらさを抱える場合が多いそう。中には発達障害の特性を併せ持つ「2E(ツー・イー)」という人もいて、不登校の背景になっている可能性もあります。
ギフテッドや 2E の子どもへの支援を考えようと、「日本ギフテッド・2E 学会」が発足しました。高知でのキックオフ大会で大会長を務めた高知大学教授の是永かな子さんに聞きました。
目次
日本ギフテッド・2E 学会のキックオフ大会は 2024 年 12 月 1 日、高知大学で開かれました。全国の研究者や教育関係者のほか、当事者の子どもや保護者らも集まりました。
学会は約 200 人が所属して発足。ギフテッドや 2E の人たちに必要な支援や学校教育を考えていきます。
ココハレ編集部は今回、キックオフ大会を取材。さらに、大会長の是永かな子さんにお話を聞きました。
是永さんは高知大学教職大学院の教授で、研究分野は「特別支援教育」。スウェーデンなど北欧の教育制度や特別支援教育、特別ニーズ教育の歴史や実態を研究し、県内でも特別支援教育などに携わっています。
【ギフテッド、2Eとは】高い知能や才能を持ちながら、生きづらさを抱えています
ギフテッドは「先天的に高い知能や特異な才能を持つ人」を指します。
一般には「めちゃめちゃ勉強ができる天才」「特殊能力を持った人」というイメージがありますが、国語や算数・数学といった学習系だけでなく、体育や音楽などの実技系でもギフテッドの人はいます。アメリカでは「リーダーシップに優れている」などでもギフテッドが認定されるそうです。
「ギフテッド」の定義は国内で学術的に確立しているわけではなく、研究者によって捉え方は少しずつ異なります。
共通認識となっているのが「IQ(知能指数)が並外れて高い」。IQの平均は「100」ですが、ギフテッドの人は「130 以上」と言われています。
2E は、ギフテッドと発達障害の特性を併せ持つタイプのことです。「2 重に特別な(Twice Exceptional)」の英語の頭文字を取って「2E(ツー・イー)」です。
例えば、「語彙(ごい)力がずばぬけて豊富なのに、文字が書けない」「難しい数学の問題を一瞬で理解できるのに、処理能力が遅い」など。発達のでこぼこが大きく、生きづらさにつながっています。
文部科学省は近年、ギフテッドや 2E の子どもたちを「特定分野に特異な才能のある児童生徒」とし、学校で「個別最適な学び」を進めていくように呼びかけています。増え続ける不登校の背景にギフテッドや 2E もあるのではとも考えられており、対策が求められています。
【IQ神話】「勉強ができたら、何でも対応できるでしょ」は間違いです
ギフテッドや 2E の子どもたちが抱えるしんどさとは?是永さんにインタビューしました。
ギフテッドの子どもたちが学校について語る際に口にするのが「暇」なのだそうです。
――「ギフテッド」と聞くと、「ある種の特殊能力」「ものすごく天才」を想像します。実際に身近にいるのでしょうか。
もちろんいます。IQの分布を見ると、平均の 100 をピークに山ができます。下位の 2.3 %は支援が必要で、実際に特別支援教育が行われています。「上位の 2.3 %にも支援のニーズがあるのでは」という公的な議論が日本でやっと始まったところです。
――上位の 2.3 %。ますます身近にいないような…。
学校の先生に「クラスにギフテッドはいますか?」と尋ねると、「いません」と答えます。聞き方を変えて、「授業が分かり過ぎて、暇になってる子どもはいますか?」と尋ねると、「います」なんです。
――いますね。小学校で言うと、私立中を受験するために塾に通っている子どもとか。
そうそう。既に分かってる内容なのに、クラスのみんなに合わせることを求められる。「私はもっと課題がしたいのに!」という子どもにはギフテッド対応が必要だと、私は考えています。
――なるほど。でも、それって「わがまま」と捉えられたりしませんか?
「IQ神話」ってありますよね。「賢いから何でもできる。何でも対応できる」みたいなのは、実は間違い。ギフテッドの子どもを理解する時に分かりやすいのが、名探偵コナンの「見た目は子ども、頭脳は大人」。
――頭脳は大人。コナンは中身が高校生だから、自分が置かれた状況を理解できていますが…。
特に低学年の子どもは心身の発達がアンバランスなんです。自分がギフテッドだとも、当然分かっていない。「学校に慣れなさい」と強いられ、「学びたい」「課題をやりたい」という気持ちを抑えられる。
――それは学校がつまらなくなりますね…。
大人みたいに論理的に考えられるのに、気持ちは年相応の子ども。平仮名はとっくに全部書けるのに、毎日毎日書かされたらつらいですよね。「みんなと同じようにしなさい」と求められた結果、「どうして僕はみんなと合わせられないんだろう」と自己肯定感が下がったり、「学校に行きたくない」と感じたりします。
【支援の難しさ】「障害」ではない→高い能力が伸ばせない
ギフテッドの子どもたちのしんどさが具体的に分かってきました。では、2E タイプの子どもはどうでしょうか。
―― 2E の子どもには発達障害の特性があるので、ギフテッドよりは周囲が気づきやすいように思います。
そうですね。発達検査をすると、特性が見つかります。2E の問題は、発達障害の特性で、高い能力が隠れてしまうことなんです。
――どういうことですか?
例えば、授業中、落ち着いて座っていられない子がいたとします。「ADHDかな?」と思いますよね。実際に診断されると、ADHDの支援が始まります。でも、落ち着いて座っていられない背景に、もしかしたらギフテッドがあるかもしれない。授業がつまらないから、座っていない。
――それは、視点がないと気づかないですね。
2E も発達がアンバランスなので、例えば「大人のように論理的によくしゃべるのに、文字が書けない」ということがあります。「この子は 2E かも」という視点がなければ、「ふざけてるの?」「ちゃんとしなさい!」となっちゃいますよね。
――そう聞くと、自分が子どもの頃にもそういう子がいたような…。
そうでしょう?もう一つの問題として、「ギフテッドは障害ではない」という点があります。発達障害のように定義があって、診断基準があって、支援の方法もさまざまあって…ではないので、「誰が決めるの?」「どんな支援があるの?」と。
――確かに。病院に行くものではないですよね。
ギフテッドはそもそも気づかれない。2E は発達障害の特性に対してのみ支援を受けて、高い能力に目が向けられない。結果として高い能力が抑え込まれ、子どもたちがしんどくなり、学校不適応を起こしてしまう。それが今の日本の現状です。
【ギフ寺】「自分と同じ仲間がいる」「話が通じる」という経験が社会性を育てる鍵に
キックオフ大会では、札幌市でギフテッドの子どもたちの居場所「ギフ寺」を運営する小泉雅彦さんが取り組みを紹介しました。「ギフ寺」は「ギフテッドの寺子屋」の略です。
ギフテッドの子どもたちは、学校では少数派。「学校になじめない」「周りの友達と話が合わない」という経験をしているので、「自分と同じ仲間がいる」「話が通じる」という経験が大事だそう。
ギフ寺は異年齢での活動も特徴です。仲間関係をつくり、自己理解を進めながら、「青年期に向けて、多数派の人とどう関わるかを考えていく」そうです。
小泉さんが紹介した、ギフテッドの子どもたちの声がこちら。
「学校には行くもの」「授業は一緒に受けるもの」で育ってきた“普通の大人”からすると、戸惑ってしまいますが、「ギフテッドの子どもたちは『学校に行ったら学べる!楽しいことがある!』という期待が外れてしまっている」と小泉さん。
「高い知能と生きにくさを抱える子どもたちには、才能を伸ばすよりも必要な支援があります。子ども時代に子どもらしく生きられず、社会性を育てる場にも恵まれてこなかった彼らがどうすれば幸せに生きられるのか。それを考えるのが国や教育の役割ではないでしょうか」
【個別最適な学びとは】一斉授業には限界が…「この場面で能力の高い子」への対応を
では、ギフテッドや 2E の子どもたちは学校でどんな支援を必要としているのでしょうか。再び、是永さんに聞きました。
――「『もっと課題がしたい!』という子どもにはギフテッド対応が必要」というお話がありました。小中学校の授業で可能でしょうか。
日本の学校は先生が教壇に立ち、児童生徒が座って静かに聞く「一斉授業」というスタイル。実はこれ、世界ではもうほとんど行われていないんです。
――そうなんですか?!
そう。日本や北朝鮮、アフリカの南部と東南アジアの一部を除けば、世界では 1980 年代くらいから一斉授業の限界が指摘されて、教育改革が行われてきました。
授業では、それぞれが課題を見つけます。同じ教室で、子どもたちが 1 人で勉強したり、グループで話し合ったりというのを見たことがありませんか?あれが世界のスタンダードなんです。
――あります。とても進んだ国の取り組みという印象でした。
日本では文科省がようやく「個別最適な学び」に言及し始めました。「みんな同じ」ではなく、「もっと課題をやりたい」という子どもたちには、どんどん課題を出していくべきです。
――でも、それだと、先生の準備が大変なような…。
国語や算数で考えるとそう受け止めるかもしれません。でも、体育の授業を思い出してみてください。跳び箱を跳べる子と跳べない子で、レーンを分けてませんでした?
――分けていました!跳べる子はどんどん高くなって。
体育や音楽などの実技系では個人差を許容し、その子に合った対応がなされてきました。これが「ギフテッド対応」で、あらゆる場面に広げてほしい。「特別なこの子」への対応ではなく、「この場面で能力の高い子」への対応ですね。
【インクルーシブな授業とは】この子は何が好き?「みんなが暇じゃない授業」を
「個別最適な学び」とは「別室での特別授業ではない」と、是永さんは考えています。
――ギフテッド、2E の子どもに必要な対応が分かってきました。一方で、今の日本にはまだまだ遠いような気も正直しています。
そうですね。ただ、彼らの力を学校や教育がつぶしていいのでしょうか。「学校に行きたくない」と思わせていいのでしょうか。
――「学校で」というのが大事なポイントですか?
「学びたければ塾や私立で」という考えもありますが、みんなが通えるわけじゃない。経済格差も地域格差もあります。彼らは公教育で救われるべきです。
――「学校はみんなで同じことを学ぶ場所だから慣れなさい」ではなく、「学校で得意なことを伸ばしていいよと保障する」なんですね。
「個別最適な学び」と聞くと、「個別指導」を思い浮かべるかもしれませんが、学校の役割の一つに「集団で学ぶ力をつける」があります。友達と一緒に学んでいく、取り組んでいく力を育むために協働での学びがあるし、社会に出たら絶対に必要な力ですよね。ギフテッドを「特別な子」だと分けるのではなく、「個別最適な学び」を一緒の教室で実現させていくべきです。
――授業はもっと自由になっていいということですね。
そう。「個別最適な学び」を 30 人学級を受け持つ担任の先生 1 人で考えてやりなさい、ということではないんです。複数の先生で対応すべきだし、「クラスで 1 番、2 番の子にはギフテッド対応をしていく」というスタンスで、普通にしていく。
ある小学校では、知的障害のある子どもとギフテッドの子どもが一緒に探究するという授業が行われました。「恩恵と脅威について考える」というテーマで、議論したり、思ったことを発言していましたよ。ギフテッドの子どもが知的障害のある子どもの話を聞いて、みんなに分かりやすく説明したり。
――それは見てみたい授業です。ギフテッドや 2E を理解するためには、私たち大人が学校や授業へのイメージを取っ払わないといけないなと感じました。
「インクルーシブな授業」とは「みんなが暇じゃない授業」だと考えています。目の前の子どもを「この子は知的障害だ。ギフテッドだ」と枠にはめずに、「この子は何が好き?」「何を探究したがっている?」を大事にしていきたいですよね。
――「子どもを枠にはめない」というのは親にも求められますね。
発達障害の特性って、自分にも当てはまるものがあったりしますよね。ギフテッドも同じで、どんな人にも得意なことがあり、どこかでギフテッドの要素を持っている。お子さんの得意なことを伸ばし、苦手なことは支えてあげてほしいと思います。