【ココハレインタビュー】TOMOはうす代表・久武夕希子さん|発達障害の子どもや家族、支援者をサポートしています
小学校、特別支援学校の教員を経て、発達障害支援へ。「これならできる」を大事に取り組んでいます
発達障害の子どもやその家族、家族を支える支援者へのサポートを続けている団体が高知県内にあります。2012 年にスタートした「TOMO(とも)はうす」。保護者向けの「ペアレント・トレーニング」や、イギリス自閉症協会が開発したプログラム「アーリーバードプラス」などを通して、発達障害への理解を進めています。
代表の久武夕希子さんは元小学校教員。特別支援学校では自閉症学級の担任を経験しました。
TOMOはうすの活動で大切にしているのは、保護者や教員に「これならできる」と思ってもらうこと。根底には子どもたちへの授業で得た気付きがありました。
目次
発達障害への気付き、受容のタイミングはそれぞれ。「何回でも説明したい」
2022 年 12 月、いの町の高知県立伊野商業高校にTOMOはうす代表・久武夕希子さんの姿がありました。
TOMOはうすは 2023 年 4 月に予定している「世界自閉症啓発デー」のイベントに向けて、デザインコースの生徒たちにポスターやチラシの制作を依頼。デザインの参考にしてもらおうと、発達障害について授業を行いました。
「発達でこぼこ、って知ってる?」
「でこぼこの差が生まれつき大きいのが発達障害。『障害』とありますが、病気ではないので治そうと思わなくていいんですよ」
「苦手なところが大きいと、得意なところを生かせなくなります。特性を理解して補っていきます」
軽快なトークで生徒たちの興味を引く久武さん。自閉スペクトラム症(ASD)の人への視覚支援や合理的配慮についても、駅の表示やレストランのメニューを示しながら、分かりやすく説明していきました。
授業後に寄せられた感想には「私にも思い当たることがあります」「友達で気になる人がいます。しんどかったんだな」。
久武さんは「生徒たちの素直な反応がうれしい」。「発達障害についての説明する内容は毎回同じなんですが、聞き手の状況や気持ちで受け止め方が変わります。保護者の場合、お子さんの成長も影響しますね」
特性への気付きや、障害受容のタイミングは人それぞれ。「『前にも言ったよね』ではなく、何回でも説明をしていかなきゃと、あらためて感じました」
夢がくるくる変わった子ども時代。「子どもが好き」で教員の道へ
久武さんは 1957 年生まれ。父親の転勤で、高知県内を転々としました。
幼少期には安芸市で過ごしました。「いわゆる『わりことし』でした。海で遊んで、山で遊んで。運動神経はよくなかったですが」と振り返ります。
テレビで女性弁護士を見たら、「弁護士になりたい」。動物について知ると、「獣医さんになりたい」。夢はくるくる変わりました。
「学校の先生になろう」と思ったのは高校 3 年の時。「子どもが好きだからと、何となく決めました。『それだけ?』と言われちゃいますね」
ちなみに、大学時代には「パン屋さんになりたい」という時期も。「パン作りにはまってたんです。教育実習も終えて、周りは全員、教員志望。びっくりされました」
卒業後の初任地は高知市の秦小学校。3 年生のクラスを任されました。
20代で経験した学級崩壊。「教員の基本は教えること」と学びました
4 月に初めての参観日がありました。授業はにぎやかで、「先生!先生!」「僕当てて、僕!」と子どもたちも積極的。22 歳の久武先生は「みんな意欲的で、いい授業だった」とほっとしました。
しかし、その後の懇談会で、保護者に“総ツッコミ”されます。
「子どもたちがちっとも集中できてない」「うちの子、後ろからスリッパではたきたくなった」「先生、もっと頑張って」…。「新採の若い先生」に保護者も不安を抱きました。
当時は 40 人クラスが基本。子どもたちをまとめるため、久武さんは試行錯誤しました。
「休み時間は子どもと一生懸命遊んで、日記は持ち帰って返事を書いて…という毎日でした」
保護者にも支えられながら、2 年目、3 年目と経験を積みました。しかし、4 年目に受け持った 5 年生のクラスで、久武さんの考えていた「努力」が通用しないことを思い知らされました。
「高学年になると、やっぱり『授業』なんです。学校で一番長いのは授業時間なので、勉強が分からなくなると、子どもたちはしんどくなる。5 年は持ちこたえたけど、持ち上がった 6 年で学級崩壊を起こしました」
プリントを配ったら、即座に紙飛行機になって飛ばされる…。そんな状況で、辞表を手に臨んだ 3 学期。大学生協で授業に関する本に出合い、すがる思いで授業を変えてみました。
「仮説を立てて実験するという授業方法でした。先生が一方的に教えるんじゃなくて、みんなで正解にたどり着く。真理は多数決では決まらない。そんな授業でした」
授業後の感想にはこう書かれてありました。
「こんな授業だったら、また受けたい」「先生、ありがとう」
読み進めながら、涙が止まらなくなった久武さん。「どの子も『学びたい』と思っているのに、私の授業が下手なせいで、自己肯定感を下げていたと気付きました」
教員の基本は、授業だ。休み時間に全力で遊ぶとか、休日に家に呼ぶとか、そんな小手先だけじゃなくて、子どもが「分かった」と実感できる授業をしなければ――。「私は道先案内人。子どもたちが新しい自分を発見できるような授業を考えていこう」と決めました。
小学校から特別支援学校へ。自閉症学級を任されました
学級崩壊を機に、授業研究に没頭していった久武さん。環境教育への学びを深めようと、養護学校(現在の特別支援学校)に異動願いを出しました。
「養護学校では農作業や木工製品作りなどに取り組んでいて、そこで子どもたちと実践してみたいなと考えました」
2002 年度に配属された高知大学教育学部付属養護学校ではその頃、ASDの子どもが増え、「自閉症学級」へのニーズが高まっていました。久武さんは中学部の自閉症学級の担任に手を挙げました。
「ASDの知識はほとんどなかったですし、自閉症学級自体も日本にはあまりなかった。大学の先生のバックアップを受けて、必死で勉強しました」
初めて出会ったASDの子どもは中学 3 年生の男子生徒。知的障害もあり、言葉を発することはあまりありませんでした。
男子生徒は久武さんを見付けると、いきなり胸ぐらをつかみました。久武さんが「怖い」と感じた瞬間、上着のファスナーを上げられました。「そうか、ファスナーが上がってないと気になるのか。きっちりしたい子なんだな」。久武さんはそう納得しました。
ASDの人への支援として知られる「視覚支援」や「構造化」も、当時はほとんど知られていませんでした。
「声の大きさの調節が分かるようにスケールを作って、小さい声を『 1 の声だよ』『ねずみの声だよ』と教えても、いまいち伝わらない。同僚の先生と『どうしたらいいかな』『何か動きがあったら分かるかな』。カセットコンロのつまみを画用紙に貼り付けて、子どもに回してもらったらうまく伝わって、『やったー!』って」
お手本がない中での手探りの日々を、子どもの「分かった!」「できた!」という反応が支えてくれました。
家族へのケアが大事…2012年に「TOMOはうす」を立ち上げました
2011 年度、仁淀川町の長者小学校に異動となりました。50 代になった久武さんにとって、久しぶりの小学校の授業は思うようにはいきませんでした。
さらに、自身の体調不良に母親の介護が重なり、病休も経験します。
「これまで教員として子どもや家族を支援してきて、初めて支援される側になりました。私が元気でないと、母を支えられない。母のケアマネさんから『支援では家族へのケアが大事』とあらためて教わりました」
発達障害の子どもも保護者も困っている。支援者は支えたいのに、支え方が分からない。そんな状況を変えていこうと、2012 年に有志で立ち上げたのがTOMOはうすです。
設立当初のメンバーは教員、言語聴覚士、介護福祉士。発達障害のサポートについて、同じ悩みを抱えていました。
子どもとのコミュニケーションを工夫していく「ペアレント・トレーニング」や「ティーチャーズ・トレーニング」の研修を受け、仁淀川町で講座を開催。県内に少しずつ広げていきました。
2018 年には、イギリス自閉症協会が開発したプログラム「アーリーバードプラス」のライセンスを取るため、メンバー 4 人で思い切ってイギリスへ。
「講習はもちろん英語です。私は英語ができないので、講師がしゃべっている内容が分かりません。勉強が分からないまま、教室にずっと座っている子どものつらさが分かりましたし、授業が分からなかったら気が散るということも経験しました。20 代の頃に受け持った子どもたちに、『ごめんなさい』という気持ちでした」
講習後は、通訳ができるメンバーを中心に勉強。日本でライセンスを持つ 2 番目の団体となりました。
支援とは「教え込む」のではなく、「これならできる」と実感してもらうこと
「アーリーバードプラス」はASDの子どもの家族、教員ら支援者を支えるプログラムです。子どもの自閉症を理解し、よりよいコミュニケーションを図り、問題行動を未然に防いだり、対処したりする方法を身に付けます。3 カ月間の講習のほか、家庭訪問やフォローアップのミーティングがあります。
ライセンスを取る際に久武さんが驚いたのが、イギリス自閉症協会の「教え込まない」という方針。受講した人に「こうしなさい」と一方的に教えるのではなく、参加者に「これならできそう」「やってみよう」「できた」を体感してもらいます。
2019 年に開いた初めての講習では、視覚支援について伝えると、参加したお父さんが早速、支援グッズ作りに挑戦しました。
「100 均でいろいろ買ってきて、カードを作ったそうです。発語のないわが子とコミュニケーションを取りたいと頑張る姿に、親の深い愛情を感じました」
「支援」の一般的なイメージは、支援する側から、支援される側に向けてのものです。久武さんは、アーリーバードプラスを通して変わっていった保護者を目の当たりにし、認識を変えました。
「これまで、よかれと思っていろんなアドバイスをしてきましたが、ご本人に学ぶ力があるんですよね。『これならできる』と親御さんに思ってもらうのが大事。授業と同じだと気付きました」
受診は、子どもの「得意」「苦手」を理解するためのもの
支援を始めるためにも、「わが子が発達障害では」と悩んでいるお父さん、お母さんには「一度、受診を考えてほしい」と伝えています。
「受診によって『子どもが発達障害と認定されてしまう』とためらっているという方もいますが、大事なのは診断名ではなく、子どもの得意なこと、苦手なことへの理解です」
例えば、情報を耳で聞くより目で見た方が把握しやすい子どもには視覚支援、逆の場合は聴覚支援というふうに、同じ「発達障害」でも、サポートの方法はその人の特性によって変わります。
「受診へのハードルが高いですよね。『子どもを理解するためのもの』『子育てを楽にしていくためのもの』という感じに、意識が変わっていけばいいなと思います」
現在のTOMOはうすの活動には、毎月のオンライン学習会や、幼稚園や保育園、学校への訪問、支援者向けの自閉症サポート講座などのメニューが加わりました。
2018 年度で教員を退職してからも、忙しい毎日。久武さんを支えているのは、20 代で学級崩壊させたクラスの子どもたちへの思いです。
「あの頃の子どもたちには本当に申し訳ないことをしました。借金のようなもので、それを返し続けるのが私の人生ですね」
「もう十分返してきたのでは」と尋ねると、「まだまだ!これから!」とほほ笑んだ久武さん。
発達障害の子どもやその家族が笑顔で元気に過ごせるように、支援者が悩みながらも支えていけるように、「これならできる」を増やしていきます。