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【ココハレインタビュー】高知聖園ベビーホーム施設長・武樋保恵さん|「この人になら話してもいいかな」と思ってもらえる関係に

【ココハレインタビュー】高知聖園ベビーホーム施設長・武樋保恵さん|「この人になら話してもいいかな」と思ってもらえる関係に

乳児院、児童家庭支援センター、里親、妊娠SOS…子どもたちが豊かに生きることを願い、支援を広げています

「乳児院」を知っていますか?さまざまな理由から、家庭で暮らすことが難しい 0~2 歳の子どもたちを預かる施設です。

「高知聖園(みその)ベビーホーム」は高知県内で唯一の乳児院です。2013 年から施設長を務めているのが保育士の武樋保恵さん。より家庭に近い雰囲気で子どもたちを育てることを目指し、試行錯誤しながら養育の在り方を変えてきました。その活動は今、地域で子育てを支える児童家庭支援センターの運営、里親の支援、妊娠の相談窓口の開設と広がっています。

武樋さんが心掛けるのは「この人になら話してもいいかな」と相手に思ってもらえる関係性を築くこと。「生まれた環境にかかわらず、その子がその子らしく、心豊かに育っていけるように」と取り組んでいます。

温かな関わりの中で、安心して生活できるように

高知聖園ベビーホームは高知市新本町 1 丁目にあります。敷地内には社会福祉法人「みその児童福祉会」の高知支部が運営する高知聖園天使園(児童養護施設)、高知聖園マリア園(保育所)などがあり、子どもたちのにぎやかな声が響いています。

ベビーホームは聖母マリア像の奥にある 2 階建ての建物です。

高知聖園ベビーホーム
高知聖園ベビーホーム

ベビーホームでは、台所やお風呂がある家庭に近い部屋で子どもたちが生活しています。保護者と離れている子どもたちが特別な大人と愛着関係を築けるように、一人一人に担当の職員が付いています。温かな関わりの中で、安心して生活することを目指し、一緒にお風呂に入ったり、添い寝をしたり、おんぶやだっこでスキンシップを深めたりと取り組んでいます。

子どもとのスキンシップを大切にしています(提供写真)
子どもとのスキンシップを大切にしています(提供写真)

「赤ちゃんでも、担当の職員が出勤すると、とたんに泣いて甘えるんですよ。大人が密に関わると、やっぱり違うなと感じます」と武樋さん。1992 年にみその児童福祉会に就職してベビーホームの職員となり、これまでにたくさんの子どもたちと関わってきました。

児童養護施設の実習で感じた「温かい空間」

武樋さんは 1972 年、高知市で生まれました。「小中高、短大とずっと高知。高知から出たことがないですね」。保育士という仕事を選んだ理由は「親と高校の先生に勧められたから」。「『保育士になりたい』と強く思ったわけではなくて、何となく流れに乗りました」と振り返ります。

短大では、児童養護施設、障害児施設、保育園、幼稚園の 4 カ所で実習がありました。児童養護施設の実習先が高知聖園天使園。武樋さんはそこで、印象深い光景を目にします。

「子どもたちが職員さんに自然に甘えていたんです。後ろから抱きついたり、一緒に洗濯物を畳んだり。職員さんも家族のように接していて、『仕事』という感じではなかった。温かい空間だったことをよく覚えています」

就職先を考えていた矢先、聖園ベビーホームの求人を見つけました。「たまたま募集があったみたい。聖園天使園と同じ系列だし、いいんじゃないかと」。そのまま流れに乗り、就職しました。

乳児院や児童養護施設などの施設や里親家庭で子どもを育てることを「社会的養護」と言います。社会的養護が必要な理由としては、児童虐待、保護者に病気や経済的困難がある、未婚や離婚で育てられないなどが挙げられます。

「社会的養護とか複雑な背景とか、実は私、全然考えてなかった」と武樋さん。20 歳で就職し、入所する子どもたちを抱きしめた時に湧いてきたのは「かわいい」という思い。

「『天使や』『こんなかわいい子と一緒におれるなんて、私はなんて幸せなんだろう』と思いました」

30年たっても忘れられない、担当した男の子との別れ

乳児院は 0~2 歳児を対象にした施設のため、子どもたちがずっと過ごせるわけではありません。「家庭に戻る」「里親家庭で暮らす」「児童養護施設に移る」などの選択肢があり、親子の状況を見ながら考えていきます。

武樋さんが初めて担当した子どもは里親の元へ移り、2人目の子どもは家庭に帰りました。本格的な別れとなったのは 3人目の男の子。2 歳になり、児童養護施設に移ることになりました。

ベビーホームでは家族のように接し、たっぷりと愛情を注いで育ててきた武樋さん。別れの日はお互いが泣いて、「さよなら」が言えませんでした。

「新しい施設に慣れるため、半年かけて慣らし保育をしたのですが、心の準備なんてとても…。こんなに私を慕ってくれる子を、私は置いていくのか。こんなの間違ってる。私は人間失格だ…と思いました」

ベビーホームでは担当職員さんとの思い出をたくさん写真に収めています(提供写真)
ベビーホームでは担当職員さんとの思い出をたくさん写真に収めています(提供写真)

1 カ月後、男の子の様子を見に行きました。「新しい担当の先生と私の雰囲気が似ていたんですね。男の子が私の顔を見て、新しい先生の名前を呼んだ時に、『あっ、この子はここでも安心して過ごせてるんだ』とほっとしました」

施設や里親に子どもを預ける理由は家庭によって違います。「保護者の温度感もいろいろあって、気持ちを外に出さない方、出せない方もいます。自分の思いを分かってほしい方、知ってほしいという方もいます」

たとえどんな理由であっても、「平気でわが子を預けている人はいない」と武樋さんは感じています。「私が 30 年たった今でも忘れられない別れの気持ちは、保護者の中にもある。だから、保護者から預かった赤ちゃんは何を置いても大事にしないといけないと考えています」

ベビーホームは家庭の代わり。当たり前の生活経験を

武樋さんが就職した当時、ベビーホームは「大舎制(たいしゃせい)」で運営されていました。一つの大きな建物で大勢の子どもたちが過ごすシステムで、「職員が今よりずっと少なかった」そう。「 1 人が 2~3 人を担当し、夕方から翌朝にかけては 1 人で 15 人見るという状況で、家庭のように丁寧に関わることは難しかったです」

乳児院はもともとは「赤ちゃんを預かる施設」でしたが、時代とともに「親支援」の役割も担うようになりました。社会的養護の在り方も変わり、より家庭的な雰囲気で子ども一人一人と関わることを大事にしていこうという流れになります。

ベビーホームの部屋。異年齢の子どもたちが職員さんと家族のように過ごします(提供写真)
ベビーホームの部屋。異年齢の子どもたちが職員さんと家族のように過ごします(提供写真)

ベビーホームでは 2004 年から「より少ない人数の子どもを見ていこう」と小規模での養育を始めました。全て小規模での養育に移行した 2013 年、武樋さんは施設長に就任しました。

現在は、子どもたちが過ごす部屋が 4 部屋あり、1 部屋の定員は 6 人です。「養育担当制」といって、子ども一人一人にその子だけの担当職員が付いています。

養育の在り方を大きく変えることで、勤務交代時間以外は「子どもが昼も夜も、自分だけの先生と一緒にいられる」という環境が実現。ほどなく、子どもたちの夜泣きが減り、言葉が増えていきました。「子どもと密に関わり、その子だけの特別な存在ができると、こんなにも変わるんだと思いました」

ベビーホームのテラス。洗濯も部屋ごとに行い、一緒に干したり、畳んだりしています(提供写真)
ベビーホームのテラス。洗濯も部屋ごとに行い、一緒に干したり、畳んだりしています(提供写真)

さらに、たくさんの生活経験ができるようにと、料理や買い物、掃除、洗濯なども積極的に取り入れていきました。

「例えば、わが子は当たり前のように買い物に連れて行くけれど、ここで暮らす子は買い物に行く機会がなかった。施設には備品があるので、『買い物』という発想がそもそもなかったんです」

「施設だから」を理由にせず、生活を一つ一つ見直していく。その作業は簡単ではありませんでした。職員たちを支えたのは「子どもたちに安心感をいっぱい感じてほしい」という思いです。

「望まれて生まれてきていない、大事に養育されていない子どもはやはり多いです。だからこそ、子どもたちに温かな関わりの中でしっかり愛情を注ぎ、『あなたはかげがえのない存在』『生まれてきてくれてありがとう!』と伝えてきたい。『愛されたことが心の底に残るように』というのがベビーホームの理念で、その思いを職員みんなで共有しながら変えていきました」

誰しも支えが必要な時はあります

武樋さん自身は 4 人の子どもを育ててきました。「子どもが小さい頃は葛藤がありました。夜勤もありましたし、子どもが泣いても家に置いて仕事に行って、預かっている子どもと密に関わるわけですから」

わが子を乳児院に預けている保護者は何らかの支援を必要としています。「支援が必要な人が特別な人だとは考えていません。もしかしたら私だったかもしれない」と武樋さんは語ります。

「置かれた状況によっては、自分ではどうしようもないことがありますよね。誰しも支えが必要な時は必ずあって、頻度や量が違うだけではないでしょうか」

「子どもにも大人にも、安心して本人の力が出せるような環境と関わりがあればいいのかなと。その人が自分らしく生きていける力を蓄えられるように支えることが『ケア』なのかなと思っています」

季節の行事は職員さん総出で。クリスマスでサンタクロースになった武樋さん(右、提供写真)
季節の行事は職員さん総出で。クリスマスでサンタクロースになった武樋さん(右、提供写真)

目指すケアのために、武樋さんが大事にしているのが相手との関係性です。

「すごくしんどい時って、言葉にできませんよね。『何でも話してよ』と言われると、逆に困るんじゃないかな」「『何でも話してよ』と私から言うんじゃなくて、『この人になら何でも話していいな』と思ってもらえるような関係性が理想ですね。困った時に『話してみようかな』と思ってもらえるように、自分はどうあるべきか…といつも考えます」

「支援の手の届かない子ども」がいない社会を

聖園ベビーホームは養育の在り方を変えるとともに、活動の幅も大きく広げてきました。武樋さんは現在、児童家庭支援センター「高知みその」のセンター長も兼任。里親家庭サポートセンター「結いの実」、「にんしんSOS高知みそのらんぷ」に加えて、2022 年 4 月からは新たに地域子育て支援センターの運営も始めます。

活動の原点はベビーホームです。「私自身は本来はのんきな性格で、すごく専門的なことを考えているかと言われたらそうでもなく。保護者から預かっている子どもたちにどういう支援があったらいいのかと考え続ける中で広がってきたという感じ。仲間に恵まれてきたなと思います」

大人から愛され、大事に育てられた子どもは、大人になると誰かを大事にしていけると言われます。武樋さんが望むのは、大事に育てられる環境からこぼれる子どもがいない社会、支援の手の届かない子どもがいない社会です。

「ただ生きるのではなく、幸せに、心豊かに育っていくことが大事。目の前の子どもたちを大切にし、目の前にいない子どもたちともどこかでつながっていけるように、子どもたちの大切な存在である保護者にとってもここが安心できる場所になるように、自分がやるべきことをやっていきます」

高知聖園ベビーホームでは、施設での生活をブログで紹介しています。こちらからどうぞ。

この記事の著者

門田朋三

門田朋三

小 3 と年長児の娘がいます。「仲良し」と「けんか」の繰り返しで毎日にぎやかです。あだなは「ともぞう」。1978年生まれ。

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